
皆さん、こんにちは。私は2026年5月から、米国ロサンゼルスにある南カリフォルニア大学(University of Southern California:USC)のLee Retina Labに研究留学しています。渡米してまだ4か月ほどであり、胸を張って留学の成果を語れる段階ではありません。現在は、慣れない研究手技や英語、家族との新生活に試行錯誤している最中です。そこで第1回となる今回は、留学先を探し始めたところから、渡米直後に研究と生活を立ち上げるまでを振り返りたいと思います。
海外留学というと、十分な研究業績を積み、奨学金を獲得し、万全の準備を整えてから出発するイメージがあるかもしれません。しかし、少なくとも私の場合はそうではありませんでした。行き先をどのように探せばよいか分からないところから始まり、発表予定もない国際学会へ自費で面談に行き、最終的には初年度無給という条件での留学を選びました。決して誰にでも勧められる方法ではありませんが、留学への道筋は一つではないことを、私自身の経験としてお伝えできればと思います。
私はこれまで、基礎研究では緑内障を扱ってきました。一方、臨床では網膜硝子体を専門とし、加齢黄斑変性(age-related macular degeneration:AMD)などの患者さんを診療してきました。AMDは、網膜の中心にある黄斑が障害され、ものを見るうえで重要な中心視力が低下する疾患です。血管新生を伴うAMDに対しては、VEGFという血管の増殖に関わる物質を抑える薬を眼内に注射する治療が広く行われています。この治療により多くの患者さんの視力を守れるようになりましたが、繰り返し注射が必要になることも多く、病気そのものを完全に治す治療ではありません。日々の診療を通じて、現在の治療の先にある新しい治療法を研究したいと考えるようになりました。
留学するなら臨床の専門と基礎研究を結びつけ、網膜疾患を研究できる環境に行きたいと思いました。しかし、米国には数え切れないほどの研究室があり、どこが自分に合うのか分かりませんでした。そんなとき、基礎研究の会で相談したところ、「研究内容だけで決められないなら、家族が住みたいと思える場所から考えてもよいのではないか」と助言をいただきました。実際に数年間生活する以上、気候や家族の暮らしも重要です。そこで、暖かく、家族で楽しめる場所が多いロサンゼルスとフロリダに地域を絞り、大学のホームページや論文を調べました。ディズニーランドに行きやすいことも、家族にとっては大きな魅力でした。
その過程で興味を持ったのが、Sun Young Lee先生の研究室でした。このラボでは、細胞外小胞、特にsmall extracellular vesicle(sEV)と呼ばれる非常に小さな粒子を研究しています。sEVは細胞から放出される膜の袋で、中にタンパク質やRNAなどを入れて別の細胞へ運びます。宅配便の小包のようなものです。Lee Labでは、この小包に目印を付け、病的な血管を作る血管内皮細胞へ選択的に届ける技術を開発していました。RNAは、そのまま眼内に投与しても分解されやすく、目的の網膜細胞にも入りにくいという問題があります。そこで、遺伝子の働きを調節する短いRNA(microRNA)をsEVに搭載し、膜で保護しながら標的細胞へ運べれば、新しい治療につながる可能性があります。AMD診療の限界を感じていた私にとって、臨床上の課題と直結する魅力的な研究に思えました。
私はLee先生に英文履歴書を添えてメールを送り、AMD診療を通じて現在の治療に限界を感じていること、sEVを利用した研究に強くひかれていること、研究室で働きたいことを伝えました。そして、2025年5月に開催されるARVOという眼科領域の国際学会で、直接お話しする機会をいただけないかとお願いしました。この年、私自身には発表演題がありませんでした。それでも、メールだけでなく直接会って熱意を伝えたいと考え、自費で参加することにしました。
直接会うことにこだわったのには理由があります。以前、ある留学経験者から、毎日のように応募メールが届く人気研究室に採用された話を聞いたことがありました。留学を終える際、研究室の責任者に「なぜ自分を選んだのか」と尋ねたところ、「熱意が伝わったから」と言われたそうです。その話が強く印象に残っていました。私には、留学先を自由に選べるほど十分な基礎研究の実績があったわけではありません。だからこそ、本気で働きたいという気持ちは直接会って伝える必要があると思いました。
面談に備え、大学院で行った研究を数分で説明できる英語のスライドを準備しました。原稿を見ずに話せるまでには至らず、当日は読みながらの発表になりましたが、Lee先生は最後まで聞いてくださり、研究室の雰囲気や研究内容を説明してくださいました。一方、当時は米国の研究費をめぐる状況が厳しく、通常の給与を支払うことは難しいとも伝えられました。給与の一部や家族の医療保険を大学側で負担できないか検討すると言っていただきましたが、実現しない可能性もありました。私は、仮に給与が出なくても研究室で働けるかと尋ね、受け入れていただけることになりました。この時点で、留学先はLee Retina Labに決まりました。
私が留学希望のメールを送ったのはLee Labだけです。一般には何十通も送り、そのうち数件から返事が来ればよい方だとも聞きます。一通目のメールから直接会う機会を得て、そのまま受け入れが決まったことには、不思議な縁を感じます。ARVOへの参加には、登録費、航空券、宿泊費などを合わせて約50万円かかりました。しかし、研究室の発表やLee先生の講演を聞き、留学先の研究を自分の目で確かめられたことを考えると、参加した価値は十分にあったと思います。
大学との調整の結果、少なくとも初年度は給与がないVisiting Scholarとして渡米することになりました。また、当時の私は奨学金の採択に必要となる論文業績を十分に準備できておらず、奨学金も得られませんでした。家族4人で物価の高いロサンゼルスに暮らすことを考えれば、生活費を自己資金でまかなうのは非常に重い選択でした。
それでも留学を決めた理由は、研究だけではありません。子どもたちに、幼い時期に英語や異なる文化に触れる経験をしてほしいという思いがありました。子どもの年齢と私自身のキャリアを考えると、今を逃せば家族で海外生活に挑戦できる機会はなかなか来ないと感じました。経済的な負担は後から取り戻せても、この時期の経験は後から買うことができない、というのが当時の考えでした。もちろん、無給留学は誰にでも勧められるものではなく、家族の理解と準備があって初めて成り立つ選択だと思います。
この経験を通じ、留学を考えるうえで論文業績がいかに重要かも痛感しました。論文は研究者としての評価になるだけでなく、奨学金の応募資格や採否にも直結します。留学を少しでも考えている学生や若い先生には、目の前の臨床や研究を大切にしながら、症例報告を含め、形にできる仕事を少しずつ論文として残してほしいと思います。留学を決めてから急に業績を増やすことはできません。私自身、「もっと早くから書いておけばよかった」と最も強く感じた時期でした。
留学開始は2026年4月を予定し、研究者用のJ-1ビザの手続きは前年10月から始めました。半年あれば十分だろうと思っていましたが、実際には予想以上に時間がかかりました。大学との確認に加え、大使館の面接予約を進める段階で初めて子どものパスポートも必要だと気付き、その準備に約1か月を要しました。面接の予約待ちと審査もあり、ビザが発給されたのは4月でした。予定日に間に合わず、留学開始を1か月延期することになりました。家族帯同の留学では、一人分の書類が欠けるだけでも予定が大きく変わります。家族全員のパスポートと必要書類を早くから確認することをお勧めします。
住居探しも簡単ではありませんでした。渡米前の2~3か月間、ロサンゼルス周辺の物件に何件も問い合わせました。しかし、米国での支払い履歴を示すクレジットスコアがないためか、返信をもらえないことも多く、出発が近づいても家族で住む家が決まりませんでした。幼い子どもを連れてホテルで暮らしながら探すのは大変だと考え、まず私が一人で渡米し、生活の基盤を整えてから家族を呼ぶことにしました。出発の約2週間前に短期間滞在できるシェアハウスが見つかりましたが、家族用の住居は現地でも探し続けました。

渡米して研究室で働き始めた直後、実験を教えてくれる中国出身の研究者が、3週間後に帰国すると分かりました。私は大学3年生以来、約13年間、本格的な細胞培養を行っていませんでした。限られた期間で、細胞培養、sEVの回収・測定、網膜オルガノイドを使った実験などをまとめて引き継ぐ必要がありました。網膜オルガノイドとは、ヒトの細胞から作る、網膜に似た立体的な組織です。作製に長い期間と費用がかかるため非常に貴重です。同僚からは冗談交じりに「一つ3,000ドルくらいかかっているから壊すなよ。保険に入った方がいいぞ」と言われました。ちなみにそんな保険はありません。緊張しながら扱っていましたが、実験中に一つを傷めてしまい、しばらく落ち込みました。
同じ時期に、家族と暮らす住居も探さなければなりませんでした。昼は研究室で手技を覚え、帰宅後はその復習と物件探しをする毎日でした。研究と生活の両方を同時に立ち上げる必要があった最初の3週間は、これまでで最も慌ただしい時期だったと思います。それでも、分からないことをその日のうちに確認し、翌日にもう一度自分でやってみることを繰り返すうちに、少しずつ一人で実験を進められるようになりました。最初からうまくできたわけではなく、失敗しながら覚えていったというのが実際のところです。
Lee先生は韓国出身の眼科医で、臨床を続けながら研究室を主宰しています。直接話す機会は基本的に週1回のミーティングで、日々の実験計画や時間の使い方は研究者に任されています。細かく管理されるより、自分で予定と優先順位を決めて進めたい私には合っていると感じます。一方、何をするかを自分で決め、うまくいかなければ原因を調べ、次の方法を考えなければなりません。自由である分、自分から動かなければ研究は進まない環境です。
研究室は小規模で、さまざまな実験手法を自分で身につける必要があります。日本では当然のように使っていた小さな器具がないこともあります。免疫染色で標本を乾燥させないための箱や、タンパク質を検出する実験で膜を入れる容器がなく、ピペットチップの空き箱で代用したこともありました。新規の実験では必要な器具や試薬を調べ、購入を依頼するところから実験が始まります。また、共用機器を使う際にも、担当者を探し、英語で質問しながら条件を組み立てます。誰かが正解を教えてくれるのを待たず、自分で必要な人と情報を探す経験は、研究者として大きな訓練になっています。

渡米して4か月の現在、研究面でも生活面でも、まだ始まったばかりです。思うように実験が進まない日もあれば、英語で十分に説明できず悔しい思いをすることもあります。一方で、昨日までできなかった実験を一人で行えるようになったり、異なる分野の研究者と相談しながら新しい解析を始めたりと、少しずつ前進も感じています。留学とは、完成した研究者が成果を取りに行く場所というより、分からないことだらけの環境で、自分に足りないものを毎日突きつけられながら学び直す場所なのかもしれません。
私の留学がどのような結果につながるかは、まだ分かりません。ただ、候補を一つに絞ってメールを送り、発表のないARVOへ会いに行ったことで、現在の生活が始まりました。準備が完全に整うのを待っていたら、今も日本で迷っていたかもしれません。まず動いたことで次の課題が見え、それを一つずつ解決するうちに道ができてきました。無給という形で留学する人は多くなく、決して誰にでも勧められる選択ではありません。それでも、さまざまな苦労を含め、現時点では留学して本当によかったと感じています。この経験が、これから留学を考える学生や若い先生にとって、留学への道筋は一つではないと知るための一例になれば幸いです。次回は留学体験記第2弾として、研究生活や英語でのコミュニケーション、ロサンゼルスでの家族の暮らしについてご報告できればと思います。
