
東北大学眼科の清田直樹です。現在、米国イリノイ州シカゴの Northwestern University で、Susan Quaggin 先生の研究室に所属し、研究留学をしています。基礎研究職として応募しましたが、実は面談時点では大きな基礎研究の実績が十分に揃っていたわけではありませんでした。それでも、これまでの臨床研究の論文も含めて評価していただけたことは、個人的には救いでした。給与面も含めて交渉した結果、postdoc ではなく research associate として雇用していただくことになり、現実の生活を回すうえで欠かせない給与を得られる形になりました。
留学の重要性については、東北大学で中澤教授から以前より伺っており、いずれ海外に出るという意識自体は持っていました。ただ、実際に留学先を探し始めると、これが想像以上に大変です。研究テーマの一致だけでなく、タイミング、募集枠、そして何より情報の入り口が必要で、意識だけでは前に進みません。私の場合は、東北大学出身の前任者として相馬先生がいらしたことが大きな手がかりになりました。加えて、Nature Careers で Quaggin lab の募集を見つけたことが、漠然としていた計画を具体的な行動に変えるきっかけになりました。留学のきっかけは、学会での挨拶や会話から生まれることもあると思いますが、実際にはなかなか勇気が要ります。その点、先輩の留学先を引き継ぐ形は、情報面でも成果面でも双方にメリットがあり、win-win になりやすいと感じています。私自身が入ったこのラボに、将来的にも継続的に日本人が来てくれると嬉しいと思っています。
Quaggin 先生は腎臓内科医として臨床に携わりながら、VEGF や Angiopoietin などのシグナルを軸に、微小血管がどのように作られ、維持され、臓器機能を支えているのかを長年研究してこられた、いわゆる vascular biology の大家です。もともとは腎臓・血管領域が主軸でしたが、Ang を欠損させたマウスで眼球が突出するほどの高眼圧が生じ、先天緑内障を思わせる表現型が見つかったことをきっかけに、緑内障研究にも本格的に力を入れるようになりました。私が取り組んでいるのは、房水の流れや圧力といった機械的刺激をシュレム管(SC)の内皮がどう受け取り、血管の形や接着、細胞の振る舞いを調整して眼圧(IOP)を保っているのか、という点です。血管シグナルと「力学」が交差する部分を丁寧に解きほぐすのは大変興味深い分野です。
Quaggin 先生は Chair of Medicine も務める非常に多忙な方で、直接お会いできる機会は週1回あれば良い方です(それでも私は多い方だと感じています)。その分、普段の勤務の自由度は高く、日々の動き方は自分の裁量に任されます。一方で成果主義でもあり、結果が出ない状況が長く続くのはまずい、と自然に感じます。逆に、結果が出ている限りは細かく縛られにくく、自分で計画して進められる環境とも言えます。自由と責任がセットで求められる職場です。他のラボでは、PI がかなり頻回に指導・管理するケースもあるようで、ここは好みが分かれると思います。私は、必要なガイドはいただきつつ、普段は自分でスケジュールや優先順位を管理しながら進めたいタイプなので、このスタイルは大変助かっています。ただし、自分で大半のことを回せないと「放置」にもなり得るので、諸刃の剣でもあります。
日本との違いとして印象的なのは、働き方の価値観です。アジア系の移民は遅くまで仕事している人もいる一方で、そうでない人は17時頃には帰ります。金曜日の午後になると、研究室全体に「もう今日はあまりやらない」という空気が出ることもあります。また休日に働くことも、少なくともこちらでは美徳になりにくく、場合によっては家族との時間をないがしろにしていると見られかねない、という感覚があります。この文化は、考えてみれば当たり前の価値観でもあり、見習いたい点です。ただ同時に、アメリカの科学を支えているのはハードワークな移民なのではないか、という現実にも気づきます。全員がゆるやかな働き方だけで世界のトップを維持できるはずもなく、理想と現実が同居している国、というのが率直な印象です。
英語力は当然大切です。日本で多少できるつもりでも、現地に来ると自分が一番下手だと痛感する場面があります。ただ、研究の場面は背景知識があるので意外と何とかなり、過去に論文を書いてきたことや、口頭発表をしてきたこと、そして日本での英語教育にも感謝できました。一方で生活の英語、特に電話は別世界です。電話口でアクセントのある英語を話されると、まったく聞き取れないこともあります。極力メールでやりとりしたいのですが、アメリカ人は電話が好きな傾向があり、ここは今でも苦手意識があります。
こうした留学生活の中で大きかったのが、人とのつながりです。シカゴ周辺の日本人研究者が集まる NUJRA(Northwestern University Japanese Researchers Association)では、Northwestern だけでなく近隣の大学にいる研究者とも交流でき、研究紹介や手法・解析の情報交換、招待講演などを通じて、分野を超えて相談できる相手が増えました。研究の話はもちろん、住居や学校、手続きなど生活の実務情報も共有できるので、異国での孤立感がかなり減ったと感じています。
シカゴは研究以外の時間に「ちゃんと息抜きできる街」でもあります。ダウンタウンの定番は Navy Pier で、観覧車や湖畔の散歩に加えて、クルーズに乗ると街のスケールを実感できます。なかでもシカゴらしい体験として外せないのが建築クルーズで、川から眺める高層建築は観光というより、一種の都市鑑賞だと感じます。春先には St. Patrick’s Day に合わせて Chicago River が鮮やかな緑に染まり、街全体がイベントムードになります。夏はミシガン湖沿いでエアショーが行われ、上空にスモークで図形(ハートなど)が描かれるのを見ると、「シカゴの夏が来た」と実感します。秋は Lincoln Park 周辺でハロウィンの催しが多く、子どもはお菓子がたくさんもらえるので大興奮ですし、家でもジャック・オー・ランタン作りをして季節を楽しめます。冬は屋外スケートが楽しく、Maggie Daley Park の Skating Ribbon はリンクというより散歩道のように滑れるのが面白いです。加えて、街やホテルのロビーに大きなクリスマスツリーが飾られ、ホリデーシーズンらしい華やかさも味わえます。
St. Patrick’s Day の名物「Chicago River の川染め」。ダウンタウンの川が一日だけ鮮やかなエメラルドグリーンに染まります。世界緑内障週間とほぼ同時期なので最初ちょっと勘違いしました。
シカゴの夏の風物詩として有名なのが Chicago Air & Water Show です。8月中旬にミシガン湖沿い(North Avenue Beach 付近を中心)で開催され、戦闘機のデモ飛行やパラシュート降下などを、街のど真ん中で無料で見られます。
ハロウィンの夜に灯したジャック・オー・ランタン。Lincoln Park の秋の空気を、家でも少しだけ。毎年作ってるので上達してきました。
冬のシカゴの楽しみの一つ。街のあちこちで巨大なクリスマスツリーが飾られ、ホリデーシーズンの空気が一気に濃くなります。一方で、シカゴといえばアル・カポネなど、治安の悪さを思い浮かべる方もいるかもしれません。実際に定期的に shooting のニュースが流れます。ただ、日本の地震と同じで慣れてしまう側面もありますし、治安の良い場所や時間帯を選べば、日常生活で大きな問題に直面することは今のところ一度もありません。実際に住んでみると印象が変わり、素晴らしい都市だと感じます。留学生の中には「離れたくない」と言う人も多いです。一方で、その「安全」はコストに直結します。治安の良い環境を選ぶほど、家賃を含めた生活費は当然上がります。
経済面では、円安が留学生活の体感を大きく変えました。留学した頃はドル円が120円台から130円台になった頃で、それでも高いと感じていましたが、今では160円に迫ろうかという勢いです(掲載時にはさらに進んでいるかもしれません)。生活中は円換算しないことが心の平穏を保つコツだと思っています。公開情報なので書いて良いと思いますが、初年度は年俸 $62,232 からスタートし、経験0〜2年は年1%未満と緩やかに、3年目以降は年3〜4%程度のペースで上がるイメージです。円安もあって円換算すると大きな額に見えますが、家賃や物価が高い都市では、生活の余裕に直結しにくいことも実感しています。実際、家賃は3,000ドル近く、家族4人で暮らしていると体感としてまるで足りません。クーポンや各種サービス、いわゆるポイ活など、使えるものは使ったほうが生活の質が上がると思います。また、子どもが小さいと、保育園に預ける場合の費用が非常に高くなります。第2言語の習得という観点も含めて考えると、子どもが5歳以上で来て、公立小学校に通える形にできると費用面では助かるため、個人的にはそのタイミングを勧めたいと思います。
米国留学に関して付け加えると、最近は留学生にとって不確実性が高まってきたと感じます。実際この1年でも、学生・交流ビザの面接枠が一時的に止まり、SNS審査の強化が進みました。また、SEVIS(在留記録)の終了が各地で問題になり、復旧や訴訟に発展した例もありました。大学単位で留学生受け入れ資格が争点になったケースも報じられており、今まで当たり前だった留学が保証されているわけではない、という空気を強く感じます。ビザ発給が遅れたり停止されたりする不安定さもあり、予定が崩れるリスクが現実にあります。シカゴにいる日本人を見ても、帰る数より来る数が少なくなってきている印象があります。
また、たとえ無事にビザが発給されて来られたとしても、研究がスムーズに進むとは限りません。例えば Northwestern でも連邦研究費の凍結により、2025年は緊縮策(人員削減や採用凍結など)が現実になりましたが、同年11月末の政府との合意を経て、12月には NIH の支払い再開と支出制限の解除が進み、2026年1月に採用凍結がようやく終了した経緯があります。研究費が止まると節約を強いられる局面があり、学会出張も抑制されましたし、マウス数を削減せざるを得ないことがありました。ただ一方で、追い込まれると頑張れる面もあり、政府が直接関係しない学会などのグラントや travel grant を複数取ることができ、何とか生き残ることができています。火事場の馬鹿力といいますか、万事塞翁が馬と言いますか…。
ARVO Foundation の Dr. David L. Epstein Award 受賞。臨床と研究をつなぐ緑内障研究を後押しする賞です。留学しないと中々なし得ない経験だと思います。
留学は研究力を高める場である一方、生活・英語・治安・物価・為替、そして時代の不確実性まで含めて「現実の中で前に進む力」を鍛える場でもあります。理想と現実の両方を見たうえで、自分の優先順位をどう置くか。これを考え続けること自体が、留学で得た大きな学びだと感じています。